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精神を鍛える修行

弱い精神を鍛えて鋼の精神力を手に入れる。そのような願望は皆さん多かれ少なかれありましょう。
そんな精神を鍛えるための修業で代表な修業は

  • 滝に打たれる
  • 炭火の上を歩く

など宗教的な修行が多いです。でもそれをやったところで本当に精神が強くなるのでしょうか?

結論から言いますと、辛い修行を行ったという自負、さらに、そのような困難に耐えたという自信となって、これから来るであろう困難にも立ち向かうことができます。

滝に打たれる安全を確認してから、できれば個人で行うのではなく、そのようなイベントに参加した方が安心

筆者はこのような修行は行っておりませんが、中学生時代耐えがたいいじめにあいました。現在、様々な困難が襲ってきますが、中学生時代のいじめに比べたら全く余裕であり、中学生時代のいじめは自分を強くするための修行だったのだ。と今は思っております。


また小学生時代に滝を超える滝登りを両親とやったのを覚えております。落差100メートルはある滝を回り込んで滝のてっぺんまで登りました。数時間かかりましたが、全身擦り傷だらけで、辛かったです。しかし、滝のてっぺんに行った時の絶景、達成感、これは乗り越えたゆえのご褒美なのでしょう。


なので滝に打たれるなどといった修行の数々は、精神を鍛えるうえでは一つの手段となりましょう。

演出家のテリー伊藤氏はこのようにいつも言っています。有名なテリーさんの格言です。

自分を追い込んでくれる同僚や上司を見つけて、どんどん攻めてもらえばいい。無理難題な仕事や課題を与えてもらい、それをこなすことでパワーアップすることができます…

これは実用的な修行ですね。仕事そのものが修行となっております。その修行をするということは自分自身が強くなりたいと成長願望があるからです。

勝負はいつでも負けから始まる。弱さを知ったときから技の工夫が始まるんだ


これは柔道家の神永昭夫氏の言葉ですが、自分が精神力が弱いという認識を持っていること自体素晴らしいですし、成長できるわけです。なので決して卑下することなどありません。

修行と言って過激なことは止めましょう

修行なら厳しい方がいいと思うのはわかります。しかし、厳しすぎて、逆に精神が参ってしまったら元も子もありません。あまり精神的につらいようなことは避けるべきでしょう。人はそんな強いものじゃないです。

現代はスポコンや、根性論が封印されている時代です。すぐパワハラ、なんとかハラといったことで修行などできる環境ではありません。なので当ページで書かれていることは批判されないかとも思うわけですが、言いたいことは、辛い経験を持つことで、今後想定される苦労を乗り越える糧になるということです。


なので、あえて自分自身で追い込んで『何か達成するための努力目標くらい』はもって、それに突き進んでいくと良いでしょう。あまり辛かったら逃げるという選択肢も自分を守るうえで必要な場合もあります。

結論
修行はするけど無理はするな!

精神衛生

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